同名の祈祷代行業の開業を記念して ・会場:HYM3F(宇野港, 岡山) ・レセプション:2023/11/11 16-19pm(3F 展示ゾーン)+19-23時(2F バーゾーン) ・会期:2023/11/12-22|10-18pm 詳細 テキスト1. 山辺冷「突き放す代行者」[下記] テキスト2. ルシアナ・ハナキ「(本当に)指を交差し続けるサービスを生業にすることに関しての短い考察」[会場配布] ![]() - 突き放す代行者 ルシアナ・ハナキは自身をとことん突き放す。離れて眺めて品を定める。ハナキにとって自身の性別や年齢や相貌や姿形といった肉体的な特徴も気質や感性や嗜好や習性といった精神的な傾向も氏名や出生や家族や国籍といった社会的な指標も彼女にたまたま与えられた器すなわちデバイスとしての身体にそのような組み合わせで設定されている仕様すなわちスペックにすぎない。常人ならば自身に備わるこれらの変数への解像度はおしなべて低い。自意識という媒質がねっとり絡みつき遮るから。しかし彼女は各項目を端的な数値として受け入れる。坦々と解析し整然と羅列する。そのうえで自身という筐体に新規の記憶や経験や行為や思考回路や物語を組み込み入れ替え書き換える。ときに外付けの記憶媒体や雲上の格納庫に接続しながら。あるいは外形的な仕様の加工が内心的な仕様に及ぼす変容や属性的な仕様の改訂が自他の生態にもたらす影響を観察する。ときに圧縮や解凍や文字通りの「別名で保存」を駆使しながら。こうしてハナキは自己のアップデートあるいは本人の言葉を借りるならば「バージョン化」を重ねる。自己の確定を遅延させ同定を迂回する。徹頭徹尾この態度は一貫している。出会った人々の人格を次々と「乗っ取」っては「乗り捨て」ながら一人旅を愉しむ(「自分探し探し」2013-)ときも自身を課金者が自由に着せ替え可能な動く人形としてサブスクに差し出す(「ルシアナハナキの外見を決める権利の売買における契約」2016-)ときもサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を一ヶ月かけて踏破する過程で過去の巡礼者たちのブログに記された様々な経験の再演を日々各地で自身を依代として遂行しつつ踏襲と逸脱をそれぞれコピペと手書きで日誌に記録する(「mi EL Camino」2018)ときも異国で訪ねた美容整形科の男性医師たちの言葉をその場で和訳していた女性助手たちの音声記録に自身の口唇をひたすら同期させたうえでその記録動画に映る自身の顔面に「盛り自撮り」アプリで当該医師の提言に沿った操作を施す(「再帰カウンセリング」2020)ときも古代マヤ暦に自身の誕生日を照らし合わせることで得られる紋章の図像を微かに改変し自刻像として立体化する(「no’j-1-4.5.1987」2021)ときもベビーシッターやペットシッターや家政婦として自身を有給で貸し出す(2020-)ときも。最後の事例にあるとおりこれまでも彼女の営みは社会という地平で労働として最適化する際に代行業という形態を取ってきたわけだが先日ハナキが開業した「指を(本当に)交差させておきますね ※ただし有料となります」はそれを不特定多数の人々に開かれた祈祷代行サービスとして展開する。そこには文明や文化や慣習を悠久の時間の連なりと遠大な空間の広がりの最中を伝播しながら変形と派生によって絶え間なく更新される集合的な記憶として捉える彼女の慧眼が潜伏している。 2013年10月12日 山辺冷 |