Luciana Janaqui
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人は言葉でなぜ会話できるのか。(例えば「昨日飲んだコーヒーが美味しかった」「道で犬を見た」というフレーズはなぜ理解/誤解されるのか。)
言葉やイメージはどうやって不安定な記憶に身体を与え固定するのか、歴史/物語 historia は個人の経験をいかに回収するのか。
これらの疑問に日々悶々とさせられる。
私は記憶 recuerdo とその格納庫であるパーソナル/コレクティヴなメモリー memoria personal/colectiva について悩んでいる。

世界では似たような経験 acontecimiento が時空を超えて繰り返されている。
「美味しいコーヒーを飲む」「道で犬を見る」という出来事 evento はある程度、いつでもどこでも誰にでも起こりうる。
主体の特性や状況の違いにより現れ方に差異はあっても大まかなパターンは共通なので、固有の経験を語れば会話は成立し、ずれを含んだまま
記憶は共有される。

誰もがアクセス権を持つコレクティヴなメモリーがいわばクラウド上に存在していて、そこに無数の物語の原型 evento が登録されている。
それらが個別の主体のもとに現れ、メモライズされる。
このようにして物語はバージョン化され、それが各々の方法で共有されることで歴史は干渉を受ける。

私は物語/歴史 historia と世界との関係性をこのように想定しており、他人のメモリー内のバージョン化された経験を収集し、
自分にインストールしながら、分裂の可視化とそれを超えた再接続の可能性を探求している。

2020年8月3日