Luciana Janaqui
news | introduction | experiments | exhibitions | CV | contact


チョケキラオで起きたこと
2016/2024, 旅行, 口伝, 手記, 忘却, 想起

MTRL KYOTOでの展示風景


*友人Fによる日記(和訳


2016年、アンデス山脈に位置するチョケキラオ遺跡を訪れることになった。それは酷い経験だった。

ペルーの首都であるリマに住んでいた当時、ある友人が私に言った。
「僕の友達がチョケキラオという遺跡への旅を計画しててメンバーを募っているんだけど興味ある?
僕は行けないんだけど・・・
世界一深い谷を越えた先にある、第二のマチュピチュと呼ばれる場所で好きだと思うよ〜」と。
私は昔から秘境にある遺跡にロマンを感じており、その友人はそのことを知っていた。
基本的に一人旅を好んでいたが、その遺跡はとても入り組んだ場所にあり外国人が単独で辿り着くのは困難だ
とのことで、つい話に乗ってしまった。

彼ら(私の友人の友達、男性ひとりと女性ひとり)とリマで一度だけ会って打ち合わせをした数日後に旅立ったのだが、
私は行くべきではなかった。
彼らとは感性も興味も旅行のモチベーションも全く合わず会話が全く弾まなかった。
彼らは善良な人たちだったが、ひたすら私とは合わなかった。
私たちのチームは全く機能しなかった。

一週間の旅路ではずっと、現地ガイドと荷運びのロバと行動を共にした。
ロバとはとっても仲良くなったので、途中からはガイドに代わり、私が手綱を引いて独りで移動した。
同行していた男女ふたりは、友人同士とのことだったのだけど気づいたらなんだか親密な湿っぽい感じになっていて、
それが決定的に私をしらけさせた。

いよいよ遺跡まで約5キロという村の民家の庭で野宿させてもらった夜、独りで寝袋にくるまって星を見ていた。
何かの歌を口ずさんでいたら(たぶんブルーハーツ)ロバがぴったりくっついてきて暖かかった。
私はロバに身体を乗せて、その旅で一番リラックスした時間を過ごした。
ロバはすぐに寝息を立てた。

翌朝私は、彼らと一緒に遺跡に行く気にはなれずその庭に残ることにした。
せっかく世界一深い谷を下って登ってきたのに萎えた気持ちは腰を重くさせた。
遺跡に行かず、おびただしい数の鶏と戯れて過ごす私を、民家の女性は遠巻きに、不思議そうに見つめていたが
そのうち近寄ってきて、ゆで卵とパン、そしてよくわからない飲み物(たぶん、とても薄いコーヒー)の朝食を
分けてくれた。
一緒に朝食を摂りながら、当時の私と同世代だったその女性はおびただしい数の鶏たちに餌をやりつつ自分の日々
の生活のこと、その集落が抱えている問題などについて語ってくれた。
そこではスペイン語ではなくケチュア語が長らく話されていたが子供にはケチュア語よりスペイン語をうまく話せる
ようになってほしい、そして山を降りて街に行って仕事を見つけて幸せになってほしい。
この山奥の家と家畜たちは自分達の代で終わりにする。。。など。

私はこの人たちとこの朝をこんな風に過ごすために、ここにやってきたんだと思った。
だから遺跡に行かなかったことは全く後悔していない。
ガイドの人は、君はいい旅をしたと思う、もしもまた戻ってきたくなったら連絡くれればいいよといって、旅の道程
と自分の連絡先をメモに書いて渡してくれた。

と、ここまでが私の中に残っているチョケキラオ旅に関する記憶である。
今でこそなんだかいい感じの話にまとめることができたのだけど、旅から帰った直後は一緒に行った男女への苛立ち
が収まらなかった。
旅には付きものの小さなトラブルが続き、それらは陳腐な恋愛リアリティショーのごとく彼ら男女の仲を深めるのに
役立っていた。私は何に付き合わされているのかわけがわからず、居心地が悪かった。

リマに戻りいろんな人からこの旅行への土産話を期待されたが、まだ若くて未熟だった私はこの旅について話すと、
彼らへの不満も一緒に話してしまうのではないかと恐れた。
悪しき感情の熱が冷めるまで沈黙すべきだったが、そこで見た美しいもののことは忘れたくなかった。

そこで
この記憶をタイムカプセルにすることにした。

プロセス
1.当時一番感性の近かった友人を自宅に招き、夜通し旅の経験を語る。主に保存したい記憶について。
2.翌朝その友人に、私の代わりに日記を書いてもらう。
3.その日記を封印、旅に関する私の記憶も凍結して沈黙。

つまり、旅行の物語の編集をそれについての感情を持たない第三者に代行してもらったのだ。そしてその編集者には、
物語にのせたいエピソードだけを抽出して伝えたのだ。

私はその後ペルーから撤退し、日本をベースに違う国でレジデンスを繰り返しながらもいろいろあってベルギーに
住むことになった。度重なる引っ越しの中で友人の書いた日記はどこに行ったかわからなくなってしまっていた。
私は律儀に、その旅行について沈黙し、その記憶は脳のメモリの中で存在感を失っていた。

2023年11月、ひょんなことからこの日記との再会を果たした。
私は日記を読んだ。
友人Fが書いたその内容は抽象的でなんだかよくわからなかったが、当時の良い感情がそこには保存されており、
それに触れることができた。負の感情に任せてこの経験を語り、気の合わない男女と旅行してウンザリした
物語に仕立て上げて自分を洗脳しなくてよかった。

過去の嫌な記憶が、嬉しかった物語で更新されました。




*ガイドをしてくれた人が書いた旅程のメモ


*遺跡に行かなかった朝に野営地としていた民家の庭で鶏と戯れながら撮った動画